*ととろroom*

働く30代女子*思いついたまま書きまくるブログ

1128*思い込みを外す

◎昨日旦那に今回の排卵日を報告。これでいいのかな…もやもやする。でも子どもが欲しいのは確か。転職したいというのは今の環境から出たいということでもある。産休入れたらだいぶ解決するんじゃ??とか邪な考えもある…。もしそうなったら逆に嬉しいかも。1つの会社で終わりたくないって思ってたのは、複数企業を勤めている人の方が知見も広がってかっこいい!って思ってたけど、それは私の単なる思い込みでは?その思い込みは手放したいか?手放したくないのか?手放した方が楽になる気がする。心のどこかで1つの企業で勤め続けるなんてださい…って思ってた気がする。本当にそうか?1つの企業で勤め続ける方が物事を深く考えられるようになるのではないか?その会社のルールに染まってしまうというのも偏見では?染まっている人もいるし、染まらない人もいる。それは自分で選べるのではないか?今の自分がダメ、この会社にいる自分がダメなんて思わなくていい。今までそう思っていた気がする。でも環境を変えたいと思っているのは本当。どう変えたいのか?時間も場所も自由に働きたい。そうなったら何を達成したいのか?仕事とプライベートの両立。そしてプライベートの比重を増やしたい。それで何を達成したいのか?自分の好きなこと心が踊ることをしたい。人生を謳歌したい。もっと気が楽になれる瞬間が欲しい。今は好きなことや心が踊ることをしていないのか?忙しいながらにも好きなことは出来ていると思う。多くの人の役に立つことをしたい。営業は直接お客さんと関われるけど、人の役に立つことってとても難しい。管理部門なら特に。でもそんな難しいことをしっかりできる、前向きに頑張ってるってすごく高尚なことじゃない?今の自分の仕事すごくない?このまま今の仕事で頑張ってもそれはそれで良い未来が開けると思う。気が楽になれる瞬間は何で少ないの?仕事で何か質問されると、自分が責められているように感じてしまう。何で?向こうは知りたいから聞いているだけじゃないの?相手の知りたいことを先に提示できていない自分が悪い。向こうの知りたいことは会話の中から探っていけばいいのでは?相手が知りたいことを何も言わずに把握するなんて無理な話では?それは分かってる。じゃー何で聞かれているだけでこんなに責任を感じてしまうのか?完璧にしないといけないと思っているから。知りたいから聞く:聞かれる前に言う、どっちがどのぐらいの割合で良いと思っている?0:10で聞かれる前に答えないといけないと思っている。それって思い込みじゃない?今の考えなら全部担当者の責任。担当者が全て情報を開示して、全部調べ尽くして、やらないといけない。でもそれって本当に全部担当者のせい?結果は全て担当者の責任?それはちょっとしんどくない?それなら何の為に上司がいるの?忙しそうな上司に楽をしてもらいたいという気持ちもある。一緒に働けて良かったと思ってもらいたい。でもそれを思うかどうかは上司の判断。知りたいから聞く:聞かれる前に言うは5:5でどっちも良いことじゃない?自分は聞くのも悪いことだと思っていた。相手に負担を負わせる行為だと思っていた。この思い込みは手放す?徐々に手放していきたい。聞かれて分からなかったら、その部分も含めてまた答えを持っていけばいい。責められている訳じゃない。知りたいから聞くのは大切なこと。自分は他の人に質問する時責めてしまっているのでは?相手が答えられなさそうな質問、困る質問、自分のきめ細やかさ、知識、やる気をアピールする為の質問をしていた。質問でマウントを取ろうとしていた気がする。そりゃ聞かれるのが嫌いになるよね。自分が知りたいから聞く、そこの意識をちゃんと変えないと自分が楽になれない。今の仕事、生活に嫌気がさしていたけど、少しずつ自分の思い込みの癖を知って、それを手放していけば、理想の生活になる気がする。妊活、転職どちらをとっても自分の人生は明るいんだろうなと思う。

◎5分前に着く電車を選んだら乗り換えミスった…。次からは15分前に着く予定で行こう。そしたら何かあっても5分前には着く…。当たり前だよね…。時間を有効活用したい、相手先に行く場合は少し遅れて行く方がいい、と思って結構ギリギリに着くようにしていたけど、それも思い込みの部分もあるのでは?少し早く着いてもできることってたくさんあるよね。例えばこんな風に日記を書いたりとか。で、こういう時に自分は何てダメなんだ…と思ってしまう。結果と自分を切り離すこと。着く時間がギリギリになった結果が悪いことであって、その人の人格に問題がある訳ではない。そもそもギリギリになって喜んでいる人もいるかもしれない。何でそう思ってしまうのか?自分が他の人をそう見てるから。この結果になってしまったのはあの人のここが悪いからだよね〜とか。いつも自分はそう思っていたな。だから自分のこともすごく責めていた。その人自体を責めると自分にも返ってくる、他人から言われるという意味ではなくて、自分で自分を苦しめるという意味で。例えば昨年の採用の結果が良くなかったというのは担当者が悪い、と思ってしまっていた。でも数年前の環境ならそれでも目標人数到達していたかもしれないよね。結果を見て、どこのプロセスをどうすれば良かったかそれだけ考えればいい話。ヒアリングに行って苦情を言われている先輩についても、相手が違ったら苦情になっていなかったかもしれない。人格と結果を切り離してみる。みんなそれぞれ面白いと思う。ジャッジしないようになると楽になる。それぞれの人がベストを尽くしているなら責めるべきではないと思う。ベストを尽くしていないならそこは聞くのも良いかなと思うけど。そういう目線を持つことで、自分は今のままでいいんだと思えるようになってくるのでは?気が楽になる瞬間も増えるのでは?今これを書いているだけでもだいぶ楽になった気がする。この感覚を大切にしよう。