*ととろroom*

働く30代女子*思いついたまま書きまくるブログ

1129*嫌な思い出→改める

私はなぜこんなにも考えるようになったんだろう…。理性を優先するようになったんだろう…。

1つは小学校の時。1番仲良い友達が気の強い友達と「ととろちゃんは抜きにして一緒に帰ろ」的なことを言ったのか(実際は聞いてないけど)、いつも一緒に帰っていたのに先に帰られた。見えるぐらいの後ろあたりで1人で帰ってたけど、向こうも気付いていたけど(たぶん)、声をかけられなかった。寂しかったし、好かれていない自分、求められていない自分が恥ずかしかった。今のままではダメだ、同調しないと、違う自分にならないと、と思った。その頃から他人の顔色を伺っていた気がする。この時本当はどうしたかった?私も一緒に帰りたいって言えば良かった。素直になれば良かった。先に帰ってしまって寂しかった、悪口を言われているような気がした、って誰かに話せば少しは気持ちが楽になったのかもしれない。

2つ目は中学生の時。スクールカーストの上に位置したくて、無理してた。それで友達にも嫌われてしまった。その頃から既に人を自分の価値観に当てはめてジャッジしていたんだと思う。そりゃ嫌われるよね…。別のクラスの子が、交換ノートにめっちゃ悪口書かれてるでって教えてくれて、そこから距離を置くようになった。素直じゃなかったな…。その時は自分は悪くないと思うのに必死だった。悪いところを認めて素直になれたら、また変わってたかもしれないね。そこから良い人になるように心がけた。約束は守るとか、良い部分を見てもらえるようにするとか、人の悪口を言わないとか、面白いことを話すようにするとか、一番正解の考えを見つけるようになった。誰にも攻撃されないような完璧な回答をするように心がけた。そのおかげか、私のことを嫌っていた友達も2年生の終わり頃には話してくれるようになった。自分の悪かった部分を素直に認めて、行動を変えたからかな?それが成功体験になったんだと思う。だから自分の中では中学3年生〜大学生ぐらいが1番聖人君子的な考えを持ってた気がする。

でももしかしたら行きすぎてしまっていたのかもしれない。私は今まで周りの反応が変わったのは「一番正解の回答を話すようになった、理性的な存在になった」から、みんなに認められると思っていた。でも周りの対応が変わったのはそこじゃなくて、「素直になって行動を変えられた」からじゃないか?そんな気がする。

自分の気持ちに沿って行動する、自分が何をしたいか明確にする。その上で、この話に関係ある人がどう感じるかの観点で言葉を作っていく。

1つ目の例では?一緒に帰りたい→〇〇ちゃんと〇〇ちゃんが嫌じゃなければ、私も一緒に帰りたいな!

2つ目の例では?何か勘に触ることをしたんだろうな…でもそれ言ってくれな分からんくない?ひどい!→嫌われることはしんどい、辛い。→今まで失礼なことをしてしまったと思う。ごめんね。自分の行動を振り返って、〇〇してしまったこととかすごく反省してる。他にも色々感じる場面があったと思うから、嫌な思いしたことがあれば言ってほしい。これからも〇〇ちゃんが良ければ仲良くしていきたいと思ってる。

自分の本音を明確にするうえでは、その本音に対して責任を持たなければならない。その本音で嫌な思いをする人が出てくるかもしれない。思うのは人が決めることであって、私が決めることじゃないけど、自分はその結果に責任を持つ。覚悟を持つ。それが必要なのかも。